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佐々木正美先生の講演会に思ったこと

なかなか気持ちにブログが追い付いていかないです…。
書いておきたことがい〜っぱいあるんだけどなぁ。そう思うと、人の関心事なんて、日々本当にくるくる、くるくると変わっているんだなぁ。って、私だけかな?
気持ちは書き留めておかないと、忘れちゃう。なるべくブログを更新できるようにしようっと。

それで、書いておこうと思ったのは、子どもの精神科医である佐々木正美先生の講演会のこと。佐々木先生は子どもの精神科医になってもう43年だそうです。

佐々木先生が、子どもの精神科医を目指したころは、1000人患者さんがいたら、こどもは4人ぐらい。だから、まわりの人に、食べていけないから、普通の精神科にしなさいって反対されたそうです。でも今では、精神科の患者さんが10人いたら、子どもは1人以上はいる。悲しい現実ですね。胸がきゅうっと痛くなりました。

先生曰く、子どもが病んでいるのではなくて、大人が病んでいるから、それに引きずられて子どもの心も病んでしまうんだとおっしゃっていました。確かに、子どもや若者の凶悪事件のことを聞いても、幼少期の育った環境に、必ず問題がありますよね。

そして、心を病んでいる人はすべて、人間関係に問題があるということでした。逆に、生き生きしている人は、必ずいい人間関係を持っていると。なるほどなぁ、と身近な人たちの顔がいろいろと浮かびました。

そのあとに、『ひきこもりの国』というアメリカのジャーナリストが書いた本のことを紹介されて、日本の親子には愛着形成が乏しいということをおっしゃっていました。

必要なのは、無条件に愛されている実感。
ひきこもりというのは、人を信じる力が弱いということだそうです。それは、イコール、自分を信じる力が弱いということ。
乳幼児期に無条件に愛されている実感をたくさん感じることで、基本的信頼=根拠のない自信を身につけることができるんだそうです。根拠のない自信がなく、すべて根拠のある自信しかなくなってしまうと、自分より優れた人が現れると劣等感に変わってしまう。そして、自分より劣っている人を探して付き合うようになり、優越感と劣等感を行き来するようになるんだとか。

最近よく耳にする「自己肯定感」というのが、私、とっても弱いんです。何ごとも、みんなにはできるけど、自分にはできない、とか思ってしまう。私、小さいころ、母には無条件の愛をたくさん注いでもらったと思うんだけどなぁ。
とか思いつつ、人を信じる力、弱いかもしれないって、最近自分の気持ちの奥深いところに向き合うと、そう思ったりするようになりました。前にもブログに書いたけれど、人間関係って「信じる」ことが、一番大切なんだって思うんです。わかっているんだけど、それが難しい。

そうか、自分を信じてないもんなぁ、なんて、佐々木先生のお話を聴きながら思ったのですが。
でもじゃあ、ここからどうやって抜け出せばいいのかなぁ…。

また、お話の最後には、アンリ・ワロンというフランスの発達心理学者の研究を紹介されて、子どもが喜ぶことを「喜びを持って」してあげることが大事なんだということをおっしゃいました。お母さんがいやいややっていたのでは、子どもは満足できないんだそうです。

それは、心の病がすべて人間関係に起因するということに、結びつきますよね。
相手の喜びを一緒に喜ぶ、相手の悲しみを一緒に悲しむ。それが本当のコミュニケーション。

「相手を幸福にしながら生きるのが、私の喜び」と思って子育てをしなさい、とおはなしの最後は、この言葉でしめくくられたのでした。

うーむ、これって子育てだけの話じゃないなぁって思いました。
私もこうやってまわりの人と付き合っていくことが、さっきいった自己肯定感とか、人を信じるとか、そいうことにつながるんじゃないかって。そんなふうに思ったのでした。
何だか思いがうまく文章にまとまらないけど、「相手を喜ばせることが自分の喜び」という言葉、しっかりと胸に刻んでおきたいなぁって思ったのです。幸せに生きていくために大切なことなんじゃないかって。

言葉だけ聞くと、なんかうそっぽい感じもしちゃうんだけど、でも、親子とか、夫婦とか、友人同士とか、きっとすべてがこれに集約されるんだろうなぁって。
そうやって生きていけば、ずーっと心地よい関係の中で生きていける。それこそが、幸せに生きるということなんじゃないだろうか。

…と、今これを書きながら聴いているのは、コレなんだけど、すごくいいです。
帯には「安眠導入盤」と書いてある。このブログを観た人がいらっしゃれば、ぜひ聴いてみてください。

sleepy.ac LIVE @Sapporo Kitara

sleepy.ac LIVE @Sapporo Kitara

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
  • 発売日: 2010/09/15
  • メディア: CD



言葉を食べる

今日は知り合いの、小学校の校長先生をされていた方のおうちにおじゃまして、摘みたてのよもぎで、よもぎだんごをつくってきました。上新粉をメインに、白玉粉とほんの少しの強力粉を混ぜて、蒸して、おだんごにしました。よもぎは軽く湯がいて、すり鉢でゴリゴリ。
とても香りのよい、おいしいおだんごができました。お庭で摘んで、それをすぐにおだんごにしたんですものね。なんとも贅沢です。
少し硬めに仕上がったおだんごに、おうちの主は、もう一歩とおっしゃっていましたが、私にとっては上等のできでした。おいしかったです。

今日書きたかったのは、まったく別の話題で、 ネットで知り合って、コメントをやりとりさせていただいている方(だから顔やお名前は知らないです)からおすすめされた、有川浩さんの『海の底』を読み始めました。有川さんは最近の人気作家で、お名前だけは知っていましたが、作品を読んだのは初めてです。

読み始めて一番に思ったのは、そのおすすめして下さった方の文章が、有川さんの文章に似てるなぁということです。その方、有川さんが大好きなんだそうです。有川さんに限らず、たくさ〜ん本を読まれているようですが。

福音館の松居直さんがよく、子どもは言葉を食べるように絵本を読むとおっしゃいますが、大人も同じだよなぁ、と思ったんです。自分が今発している言葉は、きっと今まで見聞きしてきた言葉を、もぐもぐと自分の中で消化して発してるはず。

そう思うと、自分が影響を受けてきた言葉って、誰の言葉なんだろうって思うんです。
もちろん、誰か一人というわけではないのでしょうけれど、影響の大きい人はいるんでしょうね。そのうちの一人は、母親だと思うけれど。

それとともに、もっともっときれいな言葉に触れていたいな、とも思います。
今、日本語が乱れていると言われるけれど、言葉は生き物だから、これは今に始まったことではないんですよね。ただ、聞いていて、耳障りな言葉というのは、確かにちょっと多いようにも思うけれど。
だから、私は正しい日本語というのにこだわる必要はないと思うけれど、美しい言葉にはこだわりたい。その思いもあって、今年は年4回ぐらいですが、詩の講座を受講して、詩の勉強を始めたところです。

「詩」とは無縁の生活をしてきた、と言ってもいい私。あっても、小中学校の教科書レベルです。そんな私が、詩の勉強なんてねぇ。
王朝時代の人なんかは、歌を知っているのがあたりまえみたいな生活ですよね。そういうの、ステキだなぁとも思ったりして。
それでもっと詩の言葉をもぐもぐもぐと食べてみたいなぁなんて思っています。

こうして綴っていく文章にも変化が出てくるかな??

『アレクセイと泉』を観て

先日、『アレクセイと泉』という映画を観ました。
下で紹介したのは、その映画の写真絵本です。

アレクセイと泉のはなし

アレクセイと泉のはなし

  • 作者: 本橋 成一
  • 出版社/メーカー: アリス館
  • 発売日: 2004/04
  • メディア: 単行本



とにかく静かで美しい映画でした。
原発事故のあったチェルノブイリから180km離れたこの村は、放射能で汚染され、政府から移住勧告が出されて、みんな村を離れていきます。
それでも残った55人のお年寄りとアレクセイという1人の青年。
その村の暮らしを淡々と撮影したドキュメンタリー映画です。

みんなの暮らしの中心には、「百年の泉」と言われる、こんこんと水が湧き出る泉があるのですが、なぜだかそこからは放射能がまったく検出されないのだそうです。

村の人たちは、雪の降る中でも泉の水で洗濯をしたりして、自給自足の生活をしています。
そんなエネルギーの恩恵を何も受けていないような人たちが、どうして、原発事故の犠牲にならないといけないのか…。

そして、この村はいずれ失われていく運命にあります。
現に、村の名前は、地図から消し去られてしまっているそうです。
美しい自然、村人のおだやかな生活、それが悲しさを一層増しているように思います。
55人いた村人も、今ではもう30人を切っているのではないか、と監督がおっしゃっていました。

映画の後には、30分ほど本橋成一監督のお話もありました。
撮影のとき、村のおばあさんたちに、どうして村を離れないのかと監督は尋ねたそうです。
するとおばあさんから返って来た答えは、「水を返しに来られないから」と。
監督ははじめは何のことかわからなかったそうですが、人間の体は70%は水分でできていて、その水は神様から借りている水だと。だから、死んだら生まれた土地に水を返さなければいけない、ということだそうです。
日本人は本来そういう謙虚さを持っていた民族だったのではないかと思い、ハッとさせられました。
原発事故を含めたこの震災は、そういう謙虚さを思い出せという、神様からのメッセージなのかもしれません。

監督は、あえていろいろと語らない映画にしたそうです。
たしかに、観る人によって、いろいろと心に響いてくる映画だと思います。
私もいろんなことを考えさせられました。

唯一村に残った青年のアレクセイは、小児マヒの後遺症が残って、少し身体が不自由です。
でも、唯一の若者ですから、みんなから頼りにされている存在です。

一緒に映画を観に行ったSさんは、そんなアレクセイが、村の中で活躍しているということが、あるべき社会の姿なのではないか、というのを感じたそうです。
今の日本の社会の中では、アレクセイのように何らかの障がいを抱えていると、特別な存在とされてしまいます。でも、適した役割が必ずあるはずであり、そういう場所で生きることができるはずだということです。私もこの考えには深く同意します。

きっと観るたびに、いろんなことを感じられる映画なのではないかな、と思います。
私もまた観てみたい。女子目線で言うと、おばあさんたちの服装やインテリアもかわいらしいし、そんな楽しみもあります。
私が特に気に入ったのは、路線バスのきれいな色づかいと、おうちの壁に描いてあったクマの絵。

2002年に製作された映画ですが、まだ観ていない人には、ぜひ観て、感じて、考えてほしい映画だなと思いました。
今日本で起こっている原発事故の問題は、決して他人ごとではなく、私たち自身が今後どうしていくべきか考えて、声を挙げていかないといけない、と切に思います。悲劇を繰り返さないように。


春よこい、『はるがきた』

すてきな絵本を見つけました!

はるがきた (主婦の友はじめてブック―おはなしシリーズ)

はるがきた (主婦の友はじめてブック―おはなしシリーズ)

  • 作者: ジーン・ジオン
  • 出版社/メーカー: 主婦の友社
  • 発売日: 2011/02/19
  • メディア: 大型本


なかなか春が来ないと嘆く町の人たちに、待ってなんかいないで、自分たちではるにしよう、と男の子が提案します。そして、町の中がどんどん春色になって…。

桜は散ってしまいましたが、今、私たちの心は、春を待ち望む心境ではないでしょうか。
そんなときに出会ったこの本は、私のこころをじんわりと癒してくれました。

絵も好みだし、抑えめだけど鮮やかな色遣いも好き。
あまりに気に入ったので、大好きなお友だち(小さな子どもがいるお友だちと、絵本好きな保育士のお友だち)にプレゼントしてしまいました。
でも、人気らしくて、Amazonでも入荷待ち。そろそろみんなのところに届くかな。

みんなの心に早く春が来ますように、と願いを込めて。

『はみだしインディアンのホントにホントの物語』

また久しぶりになってしまいました…。
その間、いろいろ読んだ本があるのですが、まずは表題の本のことを書いておきます。


はみだしインディアンのホントにホントの物語 (SUPER!YA)

はみだしインディアンのホントにホントの物語 (SUPER!YA)

  • 作者: シャーマン・アレクシー
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2010/01/27
  • メディア: ハードカバー


全米図書館賞をもらったというので紹介されていて、図書館で借りてきました。
これはいい! とってもおもしろく、勇気が出るお話でした。
あとがきにも書いてあるように、78%が事実だとか。
主人公のアーノルドは、頭蓋骨の中に脳脊髄液がたまってしまう病気を持って生まれてきて、言語障がいなどがあり、友だちの間でいじめらる存在。ユーモアたっぷりに書いてあるけど、相当ひどいいじめられっぷりです。

でも、アーノルドはとっても前向きなんです。たぶん、ひねくれてないんだと思うんです。
だから、希望をなくさなかった。
アーノルドが暮しているインディアン保留地は、とっても閉鎖的なところ。不当な扱いを受けていることに不満はたくさんあるけれど、誰もがそれをあきらめてしまっているんです。
そんな中、アーノルドもばかにして見ていたような、白人のP先生から、「あきらめるな」「希望を持ち続けろ」と背中を押されるのです。アーノルドは「希望ってなに?」というような感じなのですが。

そして彼は、インディアン保留地の外にある、学校に通うようになります。おうちはとっても貧しいのだけれど(現に、アーノルドにとって大親友だった犬のオスカーが病気になったとき、獣医さんにかかるお金が払えず、安楽死させます…涙)、外の学校に行きたいというアーノルドの希望に、異を唱えることなく、協力的に送り出すんです。なんてすてきなお父さん、お母さん。そう、この二人の存在もとても気持ちがいいんです。

暴力が当たり前だった前の学校とは、何もかもが違う世界。
保留地の人たちからは、裏切り者扱いされますが、アーノルドはめげません。
と、いろいろドラマは続いていくのですが…。

あぁ、教育って、こういうことが大切なんだよな、なんて思いました。
自分の人生を選択するための生きる力をつける、というのでしょうか。

とにかくおもしろくて、押しつけがましくないところがとってもいい。
今の子どもたちは、希望を持てないっていうから、ぜひこの本を読んでほしいな、なんて思いました。
(と思いつつ、「勉強きらい〜」と言っていた、姪や甥の顔を思い浮かべているのですが…)

気持ちに寄り添うことの難しさ

前のブログを書いてから、随分時間が経ってしまいました。
その間、書きたいことはいろいろあったけれど、書けずにいました。

震災のことを語るとき、いくら言葉を尽くしても、被災された方たちの気持ちには、とうてい寄り添えていないような気がしてしまって、言葉にできなかったんです。

お世話になっている保育園に、ご実家が福島だという若い先生がいました。
地震のあと、家族と連絡がとれなくて、ひとりぼっちになってしまった、とパニックになっしまったそうです。その数日後には無事にご家族と連絡がとれたんですけれど、少し痴呆の進んでいたおばあちゃんが原発の近くの老人ホームに入っているとのことで、おばあちゃんと連絡がとれず、ご家族みんなは、「ちょっとぐらいぼけが進んだからって、ホームに追いやってしまったから、おばあちゃんが…」と罪の意識にかられて、すごくすごく苦しんだとか。
でもまたそれから1週間ぐらいしてから、おばあちゃんの無事が確認できたそうです。
本当によかった。

こうして無事に助かった人たちにも、悲しい物語がのしかかっていたのに、ニュースで見る信じられないぐらいの被害者の数、そのそれぞれに、どれほどの深い深い悲しみがあるかと思うと、やはり涙が止まりません。

今は、原子力発電の事故も心配です。心配しすぎも良くないけれど、やっぱり不安です。
いろいろニュースを知るたびに、自分の無知を恥じました。
何が本当で、何がうそなのか、よくわからない状況だけれども、よくわかったのは、原子力発電は全然安全なんかじゃないこと。今も高濃度の放射能の中で、事故をおさめようと、懸命に働いてくれている人がいる。必ずやそうした犠牲を伴わなければいけないものなんて、絶対につくってはいけないと思う。

けれども、原発に頼った生活をしてきたのも事実なので、情けない。
どうすれば、原発に頼らない生活ができるのだろう。
今、一人ひとりが、具体的に生き方を変えていかないといけないんだと思う。

そんな不安で悲しい気持ちで外に出たら、青い空が広がっていました。
ふと、小さいころに、日本に生まれてよかったなー、幸せだなーと思っていた気持ちを思い出し、涙が出ました。どうか私たちの美しいふるさとが、守られますように…。

無知ということ

震災のニュースに、涙を流す日々です。

少し前のニュースでは、福島第一原発が外部電源とつながったということでしたが、これで暴走は無事にとまってくれるでしょうか…。神さまにただただ、祈るばかりです。
それでも、野菜や水から通常よりも大きい値の放射能が検出されたとか。

どうかこれ以上、被害が広がりませんように。これ以上、悲しみが増えませんように。
今はひとえに、これを祈ります。
原発の問題があるだけに、被災地の支援もますます遅れてしまうように思うからです。
被災地の人たちのことを思うと、いくら涙を流しても足りません。

この事故をきっかけに、私は原発の恐ろしさをとてもよく知ることになりました。
そして、今はこの世の中から、すべての原発をなくしてほしいと思っています。
ことに、地震大国と言われる国土の狭い日本からは、できるだけ早くになくすべきだと思っています。

でも、今まで、それらが生み出した電力に頼っていたことも事実です。
無知とは恐ろしいです。そんな自分を深く、深く恥じました。

今回の震災で、思い知ったことのもうひとつに、情報の恐ろしさです。
震災に関しての情報が、今、ものすごい勢いでやりとりされています。今はいろいろな人が、同じレベルで情報を発信できる時代。もちろん有益な情報もいっぱいあるけれど、気軽な分、不確かな情報もたくさん入ってきます。
そして、人々はそれに惑わされやすい。私のまわりのとても聡明な人たちでさえ、いろいろな情報に振り回されそうになっているのを見かけました。

情報をどうとらえるか、というのは、ある意味、その人の本心というか、本性が見えてしまう。

でも、それは人それぞれだから、どんなふうであってもいいんです。
怖いのは、その違いを受け入れられないこと。
もしくは、その価値観を他人に押し付けたり、その価値観で他人に対しての不用意な発言をすることです。

ときには、それが人を深く傷つけたりもするから。
その怖さを、今、私はひしひしと感じているのです。
もちろん、情報の受け手としては、振り回されない信念を持つということも、必要なのですけれど。

鈍感にならない自分でありたいと思い、今の気持ちをここに記します。


長い長い悪夢

すべてが長い長い悪夢であったらいいのに…。
でもこれは現実。

目にするニュースは、どれも想像もつかなかったことばかり。
今まであんまりにも恵まれ過ぎていたんだ、と思い知った。

神さま、原発の恐ろしさを、私たちはもう十分に知りました。
だからどうか原発の暴走を、もうこれで止めてください。

原発の問題もあってか、被災地の救援が一向に進んでいないように思います。
そんなことはあってはいけない。
早く被災地の人たちを安心できる生活に戻さなくては。
それはきっと日本中、いえ、世界中の人が、そう思ってくれているはず。
なのにどうして、どうして進まないんだろう。どうして…。

私たちは身の回りのいろいろな恩恵に、無関心すぎました。
冬を暖かく過ごせるということ、夏を涼しく過ごせるということ、
いつでも食べ物が十分に食べられるということ、
安全に暮せるということ、
安心して眠れるということ、
心配してくれる家族がいるということ、
助け合える仲間がいるということ……etc.

そして、生きているということ。

すべてに感謝をささげます。
だからどうか、もうこの悪夢を終わりにしてください。

薄っぺらな自分

ブログには書けなかったけれど、前の更新から今まで、いろいろな出会いがありました。
元福音館書店の編集長だった斎藤惇夫さんの講演会、かつら文庫でのひなまつり会で触れた石井桃子さんの思い出、そして、詩人の阪田寛夫さんにまつわる人たちのお話…。
どれも、深い深い感動がありました。
何に感動したかと言えば、その本人ばかりでなく、そこに関わっている人たちの、ものごとに対する真摯な姿というか、丁寧なかかわりというか。

その一方で、私は自分の弱さに向き合わなければならない場面に遭遇し、苦しい状況に今いるように思います。

でもそこに共通しているのは、薄っぺらな自分に気が付いた、ということ。
今、成長のときかもしれない。
そう信じて、コツコツと、そして、丁寧に、ものごとに向き合いたい。

その思いに気づいて、身の回りに起きたことが、ピタッとくっつき合ったような気がします。
だから、今がきっとひと皮むけるときなのかも。

最後に、今日出会った言葉を。
「あなたを苦しめ、あなたをなぶり、あなたを混乱させ、あなたを困らせる人は、みんなあなたの先生です。彼らが賢いからではなく、あなたが賢くなりたいと思っているからです」(『宇宙からの手紙』より)

ね、すごいピタッとくるでしょ?
まぁ、これも私の勝手な思い込みですが…。
すべては思い込みから始まるのかもね。

2月はいずこへ?

本当に、本当に、激務の日々が続いていて、ふと気が付けば、前の更新から1カ月以上経っちゃってた…。(びっくり)
朝から晩まで(いや、朝から朝までっていう感じ)駆け抜けている日々です。
あぁ、こんなんじゃ、いかん、いかん。

そうは言っても仕事は片付けなくちゃいけないし…。
まぁ、ありがたいことに、嫌な仕事をやっているわけではないので、メンタル面では病まずに済んでいるのかも。でもやっぱり仕事ではあるから、つらさはあるんですけどね。
あともうちょっとがんばったら、光が見えてくるはずです。
(世の中のがんばっているみなさぁ〜〜〜ん、ともにがんばりましょう!)

お正月に見てもらった天使のメッセージでは、今月は、今までやりたくてできなかった新しいことを始めるといい、とあったのだけれど、そんな余裕がまったくないまま、ここまで走って来ちゃいました。でもあともう数日ある。始めたいなぁ、あんなこと、こんなこと。(内容は始めるまで、ナイショ)

あと数日の勝負、がんばれるか???

それにしても、私の2月はどこへ行ったの?
気が付いたら、もうすぐ3月。あらら…。どうして?

もうちょっとのんびり仕事がしたいよ。
きっと、効率よく仕事をするための勉強期間なんだ、と自分に言い聞かせ、乗り越えます。
たしかに、こんなに大急ぎでも、仕事ってできるんだ、と思ったりしている今日この頃。
ちょっとしたステップアップの時期だといいな。

さぁて、現実に戻らなくっちゃ。うぐぐぐぐ…



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